アメリカ初の近代美術館【フィリップス・コレクション】に癒されて

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近代美術館【フィリップス・コレクション】に癒されて

モダンアートの展覧会も増え、見に行く機会が増えました。ここでは美術館「フィリップスコレクション」の展示品を解説していきます。

近代美術館の魅力

モダンアートをテーマとする展覧会も増え、見に行く機会が増えました。美術史の流れの中で、芸術がどのように変化していったのかも面白く、特にモダンアートは私の中でブームを作っています。

この前東京・六本木で行われた「モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―」を見に行って、あまりの素晴らしさに2回も足を運んでしまいました。

お互いの国の芸術に影響を受けあって、さらなる高みへ向かっている芸術に、今一度目を向けてみたいと思います。ここではこの前見に行った展示会の元となった美術館「フィリップスコレクション」の展示品を解説していきます。

フィリップスコレクション

1921年にアメリカ初の近代美術館として開館。創設者のダンカン・フィリップスは、鉄鋼会社の創業者であるジェームズ・ラフリン(James H. Laughlin)を祖父に持つ。彼は兄のジムと共に美術評論を行い、また一族のコレクションを管理していた。1917年に父親を、1918年に兄を相次いで亡くし、ダンカン・フィリップスは母親エリザと共にフィリップス・メモリアル・アート・ギャラリーを設立。1921年より一般公開となった。ダンカン・フィリップスは1921年に画家であるマージョリー・アッカーと結婚し、ともにコレクションを拡大していった。

コレクション

ヨーロッパ絵画
20世紀アメリカ絵画

などののコレクションでも知られている。

2011年に国立新美術館で「モダン・アート,アメリカン−珠玉のフィリップス・コレクション−」が開催された。

モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―
To See as Artists See : American Art from the Phillips Collection

展覧会概要

20世紀に入りヨーロッパの前衛美術に触れたアメリカは、第二次世界大戦後、抽象表現主義の登場によって国際的なモダン・アートの潮流に大きな影響を与えるに至ります。その一方で、ありのままの対象をとらえたリアリズムの伝統は、アメリカ絵画の源流として、その黎明期より脈々と受け継がれてきました。そして、いかなる場合においても、果てしなく続く大自然の風景と、ニューヨークの摩天楼に代表される近代都市の景観は、そのいずれもがアメリカを象徴するものとして、多くの作家に創作のインスピレーションを与え続けてきました。
本展では、アメリカ美術の優れた収蔵品で知られるフィリップス・コレクション※から110点の作品を集め、19世紀後半からアメリカン・モダニズムの時代を経て、ポロック、ロスコに代表される戦後のアメリカ絵画隆盛期にいたるアメリカ美術の軌跡をたどります。選りすぐられた作品の数々は、固有の風土と歴史の中で独自の表現を追求しつつ培われてきたアメリカ美術の多彩な魅力を伝えてくれることでしょう。

※フィリップス・コレクション(ワシントンD.C.)
鉄鋼業で財を成したフィリップス家の次男ダンカン(1886〜1966)とその妻マージョリー(1894〜1985)の個人コレクションをもとに設立された、アメリカで最初の近代美術館です。マネやルノワールら印象派をはじめとする西欧絵画の大規模なコレクションを誇る一方、アメリカ人画家の作品を積極的に購入し、同時代の若い芸術家を支援した功績は広く知られています。

国立新美術館

国立新美術館は、東京・六本木にある美術館である。日本で5館目の国立美術館として、2007年(平成19年)1月に開館した。

文化庁国立新美術館設立準備室と独立行政法人国立美術館が主体となって東京大学生産技術研究所跡地に建設された美術館である。国立の美術館としては1977年(昭和52年)に開館した国立国際美術館以来、30年ぶりに新設された。延床面積は日本最大で、これまで最大とされていた大塚国際美術館の約1.5倍に及ぶ。

独立行政法人国立美術館に所属している中で唯一コレクションを持たない為、英語名は収蔵品を持つのが通常であるミュージーアムではなくアートセンターを用い、「ナショナルアートセンター・トウキョウ THE NATIONAL ART CENTER-TOKYO」を名乗っている。

コンセプトを「森の中の美術館」としており、設立目的を展覧会の開催・情報収集およびその公開・教育普及としている。また、館内にはミュージアムショップ・レストラン・カフェなどが併設されている。

黒川紀章設計の美術館としては最後のものとなった。

背景

この美術館の構想はそもそも、従来は公募展のために東京都美術館を使用してきた日展ほかさまざまな美術団体(公募団体)のあいだで、作品出展数に比して展示できる面積の狭い東京都美術館に対する不満と、新たな展示スペースへの要望が高まった結果生まれたものだった。

その際、都ではなく、国が全国的な美術団体のための展示スペースを整備すべきとの意見が出て、美術家や公募団体が文化庁や政党、各地方の国会議員に働きかけた結果、1995年以降、各公募団体の代表作家たちや美術評論家を中心に、国立の新美術展示場建設構想の調査がはじまる。場所は六本木の東京大学生産技術研究所(駒場に移転)の跡地があてられ、建設費は380億円を予定していた。当初はナショナル・ギャラリー(仮称)と呼ばれ、日本の芸術文化の育成・国際的な芸術情報発信拠点としての役割が期待されていた。活動内容は複数の公募展の同時並行開催と、新聞社などの主催の大規模企画展のための会場貸しとされ、美術品コレクションや学芸員は置かない方針だった。

開館後

東京都美術館で開催してきた公募団体展や首都圏の公立美術館で開かれてきた企画展のうち、かなりの数が移動することになった。美術館ができた以上、各公募団体が新美術館でどのような展示を行うのか(団体以外の人々への案内・美術鑑賞教育、これまでの絵画や彫刻に限らない作品の参加の可否)、美術館やその学芸員は各公募団体とどのように連携し意味のある活動をするのか、が問われることになる。

また、新美術館の重要な役割として、国内各地・国外の、過去・現在・将来に至るあらゆる展覧会に関する図録などの情報を収集・集積・研究し、来館者やウェブサイト訪問者に公開する情報収集・公開機能というものがある。図録・研究書類はライブラリに収められ来館者も閲覧でき、現在開催中や近い将来の展覧会に関しては、ライブラリに併設された「コモンズ(共有地)」という名の場所でポスター閲覧・チラシ集めなどの情報収集ができる。現在、日本の展覧会カタログを過去に遡って網羅的に収集しており、既に日本では最も多く展覧会カタログを所蔵している

建築概要

裏側は、同時に行われる複数の公募展の作品搬入・開梱・そして審査員による審査などを円滑に行えるよう、充実したトラック用プラットフォーム、バックヤード、環境の良い審査会場、審査員控室を持つ。

また表は、緑の広場と全面ガラス張りの明るい外観が観客を迎える。

前庭に歴史的建造物で二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎が一部分保存される。第二次世界大戦後は東京大学生産技術研究所等として使われていた。研究所が駒場に移転し、取壊し予定であったが、保存要望の声に配慮し、一部分を残したものである。

なお、「新」の文字をイメージし赤い直線で模られたシンボルマークは、アートディレクター佐藤可士和が作成。

交通アクセス

近隣は、六本木ヒルズの森美術館や、泉ガーデンタワーの泉屋博古館分館、防衛庁跡地に建設された東京ミッドタウンに移転したサントリー美術館など、さまざまな美術館が集積することとなる。

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